草原の国から、山岳の国へ。

中国の出国ゲートを抜け、2キロ弱の緩衝地帯を輸送されて辿り着いたカザフスタンは、とても貧弱に見えた。
中国に比べ小さな税関、そして、質の悪い舗装。


ただ、人家はどこか欧州風。中国の土壁の長方形でなく、白いトタン屋根が葺いてある。人々は、中国側の地域から、ただ漢人がいなくなっただけ。

中国とカザフの国境は、1881年のイリ条約によって、清朝帝政ロシアの間で引かれた国境線。当時から散住していたカザフ人の居住域とはまったく関係なく、二つの大国に分断された。
ソビエトキリル文字&ロシア語普及政策により、彼らの文字はキリルとなり、誰もがロシア語を操れるようになった。
一方の中国側は、文字に関しては触れなかったため、アラビア文字のままだ。
同じ言葉なのに、違う文字で書かれる。奇妙な感覚を覚える。

カザフに入り、子供たちが元気だ。沿道から手を振って、「ズドラーストヴィーチェ!」と声をかけてくる。
中国では、小さい子はいつも親の足の後ろに隠れていた。

景色はといえば、開墾し尽くされた中国から、放牧用の草原へと変わる。

バルハシ湖へと注ぐ大河、イリ川を越え、キルギスへと向かう道は、山道となる。

万年雪の残る山を間近に見ながら、草原のど真ん中で、キャンプした。

翌朝起きると、カザフ人の子供たちが馬に乗り、牛を放牧にやってきた。
朝から元気な子供たちは自転車にうれしそうに跨り、僕を馬に乗せてくれた。


2泊3日のカザフを後に、キルギスとの国境は非常に簡素。
鉄条網もなにもなく、ただ車止めと、キルギス側に銃を持った軍人が一人。あとは、両国あわせて10人いるかいないかの役人。

出国手続きも、役人が朝ご飯終えるのを待ってから。
緊張感は、ない。


キルギスに入り、渓谷を下ると、やがて村が連なる。
「ハロー!」と声をかけてくる子供たち。
町でカフェを探していると、英語を話す青年においしいところに連れてってもらえ、マンティ(蒸し餃子と肉まんの中間?皮が薄い)がおいしかった。

玄奘も立ち寄った、イシク・クル湖の湖岸である。


キルギスタン、カラコル(Karakol, Kyrgyzstan)
総走行距離 5786キロ