2008-01-01から1年間の記事一覧

アウシュビッツ/ビルケナウ。

ショートトリップ第三弾。ポーランドのアウシュビッツ(ポーランド語;オシュウェチム)へは、一人へ夜行へ乗り込んだ。といっても駅まで車で送ってもらったり、切符を買うのを手伝ってもらったりといろいろしてもらった。距離的には、東京から名古屋くらい…

ブルノ、ウィーン。

チェコ第二の都市、ブルノ。ブルノ出身の友人の友人に案内してもらえるというので、バスでぴょいっと行ってきた。 そしてその友人宅にお世話になる。 母子ともにオリエンタル・ファンらしく、手料理を振舞ってくれた。 感謝感謝。お目当ては、ミース・ファン…

プラハ散策。

昨年アイスランドで会ったチェコ人の友人宅に10日間近くお世話になった。そしてプラハをはじめ、ブルノ、ウィーン、アウシュビッツへと足をのばした。 そしてさっそく、プラハの街案内をしてくれた。 クリスマス前の、プラハの夜の町並み。 そしてなにより…

国境。

ハンガリー入国以降、国境に、誰もいない。 人の自由移動に関する取り決めのシェンゲン協定によって、国境の入管は廃止され、ただその跡だけが残る。 いままでは国境で出国/入国スタンプともらってようやく国境を越えた気分になっていたのだが、ここではた…

通貨切り替え直前。

新年から、ユーロ導入が決まっているスロバキア。 各国通貨が続落する中で、この国の通貨だけは値上がりしている。 ユーロとの公定レートが定められ、欧州中央銀行の市場介入によってコルナ高が維持されるのだ。 公定レートはレシートにまで表示され、スーパ…

ワインの里。

単独峰は、なぜか美しいと感じてしまう。 たとえ、低い山であっても。 標高512mの、トカイ山。その裾野に、貴腐ワインの産地、トカイ地方は広がっている。ちなみに、ここは「畑」の世界遺産。 17世紀、オスマン帝国の侵略によって葡萄の収穫が遅れてし…

山の向こう。

モルドバから、ルーマニアへ。旧ソ連からEUの一員への国境を越えた。この冬初めての雪の降る日。気温は今にも氷点下にでもなるのではないかという中、国境の役人はホットチョコレートを僕に作ってくれた。 賄賂を受けることに熱心な旧ソ連の役人とは、まさに…

自称系国家。

ウクライナの平原はずっと、霧で。 モルドバへ入ると、萱葺き屋根の家がちらほらとある。幹線から外れると、ダートにコルゲーション。ヨーロッパにもこういうところがあるのだ。 そしてこのモルドバの一部は、未承認国家「沿ドニエストル共和国」の領土とな…

寒波はまだ?

イスタンブールから34時間の船旅で、黒海の北岸、オデッサである。 曇りがちの空は、寒い。 同乗のトルコ人が、思わず入管職員に尋ねていた。 「寒波はもう来た?」と。 まだ先らしいが、気温表示はたったの5度。 新疆からトルコまでずっといたイスラム圏をよ…

ボスポラスの風。

イスタンブールへ入る前日、マルマラ海の入江沿いでキャンプした。 そして翌日、アジア大陸の最終日を走り切る。 最後の70キロ、休まずに走り、ボスポラス海峡へと至った。 対岸には、イスタンブールの有名なモスクが聳え立つ旧市街。 アジア側のこっち、カ…

アナトリア横断。

アジア最後の、2000m級の峠。 その峠にたどり着くまでの3日間、連日雨が降ったり止んだり。 そして、峠に差し掛かろうとする時、雨は一段と強く打ち付けてくる。 ヘルメットから滴る水滴。吐く息はさらに白い。 右手でギヤをまた軽くして、踏み込む。…

またまた予定変更。

ウクライナ情勢が、なにやら不穏な空気。 ウクライナでの長逗留を避けるため、イスタンブールまで移動した後、フェリーでウクライナのオデッサに渡るか、もしくはそのままブルガリア、ルーマニアと進むか決める予定。 ソチをオリンピック前に見ることができ…

秋は深まる。

残念ながら、トルコ入国後すぐに顕れるはずのアララトの雄姿は雲に阻まれ、よく見れなかった。 木々が色づく中、キャンプ。 朝起きたら、手元の温度計はマイナス2度の表示。テントの表面には霜が噴き、朝陽に煌めく。 秋が収穫の季節なのは、どこでも同じ。 …

大統領選挙前日。

イランとナヒチェバンの国境付近に、その教会はある。 聖バルテロメウによって開かれたという、聖ステファノ教会。 イスラム国家の領内にあって、細々とながらもその文化が守られている。守っている 人たちがいる。 ちなみに、イランの国内にはキリスト教徒…

もてなしをうける。

ビザ待ちの1週間のうち、結局4回も夕食に招いてもらった。 ムハンマド一家。お母さんの作る料理が、とてもおいしかった。 近くの観光名所、「イランのカッパドキア」ことキャンドバンを訪れたりも。 自転車屋も充実してて、修理も万全。 左:ザカート(喜捨)の…

高原へ。

アゼルバイジャンは、ずっと雨だった。 それが、国境を越える間際から、どんどん晴れてくる。 小さな川を挟んだだけの国境なのに。 これがイランのホスピタリティなんだろうか。 海抜0m以下のカスピ海沿岸から、一気に内陸の高原へと入る。 交通量の比較的多…

ヨーロッパへ近づく。

アクタウの街に別れを告げ、油井の浮かぶカスピ海を渡った。 石油バブルに沸くバクーの街は、今までの街と雰囲気が一気に変わった。 城壁に囲まれた旧市街を中心に、20世紀初頭の欧風建築群、そして郊外には建設中の高層マンションが建ち並ぶ。 そして近郊に…

地平線。

川もない。オアシスもない。広大なステップが広がるウスチウルト台地は、砂漠よりも平坦な場所だった。 ただ、一直線に貫かれた道路と、並行して敷かれた鉄路。 そこで僕は初めて、地平線と言うものを知った。見渡す限り平坦なこの場所で、たとえどんなに目…

スピードアップ。

砂漠の中、ずっと平坦な道。そして、まっすぐな道。いままでの山道と違い、地図上での一日の移動が目に見えて速くなる。 一日100キロ以上の走行も苦でなくなる。 もう9月に入り、砂漠はそれほど過酷でない。気温が35度を超えることは稀になり、夜は1…

落ち着く街並み。

サーマーン朝の時代から、中央アジアの中心都市であり続けたブハラ。 その旧市街は往時の様を保っており、サマルカンドに次ぐ観光都市となっている。 夕暮れ時のモスクとマドラサが、その土壁の色と相まってとても美しかった。 ブハラより西は、キジルクム砂…

今後の予定 〜旅の中間地点より〜

ここサマルカンドから東京までの距離と、ユーラシア大陸の西端であるポルトガルのロカ岬までの距離はほぼ同じである。 ここはちょうど旅の中間地点。これから日がどんどん短くなるので、一日の走行距離は短くなるだろう。 サマルカンドから、ブハラ、ヒヴァ…

サマルカンド・ブルー

2750年の歴史を持つという、”青の都”サマルカンド。人口30万を数える観光都市は、各国から旅行者が引きもきらず訪れる。ティムール朝以降の巨大なマドラサの並ぶ、レギスタン広場。 その巨大さに息を飲む、ビビ・ハニムモスク。 いくつかの廟が列をな…

パミールから一転、首都の空気を味わう。

ほんの十年ちょっと前まで内戦が続いていた首都、ドゥシャンベ。 だが今は、その過去を物語るものは、もう容易には見つけられない。 パミール地方ことゴルノバダフシャーン自治州の州都、ハローグから首都へと至る道は、まったくもって道路維持がなされてい…

ワハン渓谷を抜けて。

タジキスタンとアフガニスタンとの国境になっている、パンジ川。 それに沿って、ワハン渓谷にはタジク、アフガンの両側に村が連なっている。 道中、町までの80キロの道のりを、家族9人のために買い出しに出る少年に会った。 自転車でアップダウンの激しい道…

旅の最高地点。

オシュの標高は、1000m以下だ。そこからタジキスタンとの国境、キジルアルト峠(4282m)まで220キロの間に一気に標高を上げる。 まずは、パミール高原の足元、チョン・アライ地方にあるサリ・タシュ村まで、180キロ。 3615mの峠は、最後の最後で一気に高度を上…

ペダリング再開。

3週間のビザ収集兼休息を終え、キルギス第二の都市、オシュへ。だがこの道が、鈍った体には辛かった。3000m級の峠が、二つ。 一つめは、ひいこら言いながらひたすら押した。急坂を20キロほど、ずっと。6時間、試練の時であった。 二つめは、それほどきつくな…

一時の休息。

この先必要になるビザを、すべてここキルギスで集める。 ここですべて取ってしまえば、もうあとは進むのみ。 しかも入国日、出国日の期限つき。 もう、あとには戻れない。進むしかない。 ビザなしで入国できるグルジアまでの道のりは、約4000キロ。 イシ…

草原の国から、山岳の国へ。

中国の出国ゲートを抜け、2キロ弱の緩衝地帯を輸送されて辿り着いたカザフスタンは、とても貧弱に見えた。 中国に比べ小さな税関、そして、質の悪い舗装。 ただ、人家はどこか欧州風。中国の土壁の長方形でなく、白いトタン屋根が葺いてある。人々は、中国…

さよなら中国。

ウルムチから約700キロ。 カザフとの国境、コルガスである。 いままでは、天山山脈の北麓をずっと走ってきた。 昨日は、天山山脈の峠へと上った。 そこは、カザフ族の住む、サイラム湖畔。 カザフ族が羊を解体し、子供が湖畔で遊ぶ。 今日は、その峠を下る。…

現在の中央アジアへの玄関口、ウルムチ。

新疆ウイグル自治区の首府、ウルムチ。 人口200万を擁する、大都市である。 街中には、ロシア語が併記された看板が目立つ。 西部大開発の号令に伴って、新疆への漢人の入植が進められた。自治区全体では、もはやウイグル人の人口を上回っているという。 …