そして、日本へ。

一週間の、島生活。 マナド沖に浮かぶブナケン島は、ダイビングのメッカだ。 島の周囲には、色とりどりのサンゴ礁があり、そこには多くの魚が棲んでいる。 ここで、ダイビングのライセンスを取得した。 4日間にわたり、海に潜って魚と戯れながらの授業。 こ…

自転車旅の終わり。

ミナハサ半島を東進。 次第に、教会が多くなってくる。 ミナハサ人は、ほとんどがキリスト教徒。 そんな中、宿がない町に一泊せざるをえなくなってしまった。 例によって、警察署に野宿させてもらう。 「お前は、ミナハサ人か?」 警官に言われた。 ここらへ…

北半球へ。

ポソの町をはさんで、モスクが多くなってきた。南側は教会が多かったのと対照的だ。 ヒンドゥー教徒はどちらにもぽつぽつといるようだ。 ポソからは、トミニ湾沿いをずっと北上。気持ちいい海沿いの道には、ところどころ静かなリゾートホテルがある。 リゾー…

中部山岳地帯。

観光地を抜けると、あとはただ素朴な農村地帯。 山を上り、下り、そしてまた上り、また下った。 途中にあったのは、琵琶湖の半分ほどの面積をもつ静かな湖、ポソ湖。 そしてようやく見えた海は、トミニ湾。 ここ、中部スラウェシは、キリスト教徒とムスリム…

毎日の水浴び。

走り出したはいいもののとても暑いので、初日は昼過ぎには走りやめて川で子供たちと水浴びをしていた。 二日目、三日目は宿がなく、警察署に泊めてもらった。 四日目は、暑さに耐えかねてモスクで水浴びをさせてもらった。 そして、スラウェシ随一の観光地、…

熱帯へ。

日本からバリまで、約7時間。だが、その後ジャカルタを乗り継ぎ、マカッサルまでは計15時間。 到着は、深夜だった。 それでも暑い。むわっとした空気に包まれ、タクシーでホテルへと向かった。 エアコン無しに慣れなければと思ったが、ついエアコンつきの…

最終決断。

春休みの行き先、決まりました。 スラウェシ一ヶ月。 結局、パプアニューギニアは治安状況を考慮して、諦めることに。 さらに、ボルネオ〜スラウェシとハシゴしようとしたのも、飛行機のチケットが希望日に取れなかったのと、船のスケジュールが希薄だったた…

学生最後の旅へ向けて。

いよいよ学生生活も、あと4か月。 最後の長期休みを活かして、どこ行こうか。 熱帯に行ったことがなかったので、今回は熱帯にしよう、というコンセプトまではなんとなく固まっていた。マダガスカル、ボルネオ、パプアニューギニア。実はパプアニューギニア…

旅の終わり。

結局大車輪で周ることになった南アメリカ。 最後の日は、自転車の箱を探したり、最後にするべきことをしたあとで、少し時間があったのでクスコ近郊の遺跡をツアーで見てきた。 帰国当日、リマ行きの飛行機が出るのは午後。 正午を過ぎたあたりから雲が空を覆…

頂を目指して。

さて、クスコまで来たからには、行かないわけにはいかぬ。 空中都市、マチュピチュ。 非常に切り立った山のうえにあるため、下からは何も確認することができない。 鉄道でしかアクセスすることのできない村が、マチュピチュの麓にある。バスと鉄道を乗り継い…

肥沃な谷へ。

プーノからは、NZ人トムと一緒にクスコまで。 ティティカカ湖のあるアルティプラノからひとつ峠を越えると、クスコまで渓谷地帯が続いて行く。 その峠を越えたすぐあとに温泉があり、夜、誰もいなくなった温泉で星空を眺めた。そのまま、温泉の施設内でキャ…

奇妙な島。

チチカカ湖の6割は、ペルー領。 そしてその湖畔の町、プーノ近くの湖は、比較的浅いエリアとなっていて、水深5mほどしかない。 そのため、湖岸から数キロ離れた場所にも、葦の一種、トトラが自生する。 その葦を積み重ね、浮島を造って暮らしている人たち…

聖なる湖。

ラ=パス出発時には、この旅で初めての雨が降った。そして、それは盆地を登りきったところで雹に変わった。 小さな食堂で休憩しつつ、止むのを待ってからの出発。 結局しばらくして雹は治まり、アルティプラノは再び青空に包まれた。 そして、チチカカ湖畔の…

世界一危険な道路。

ラ=パスからのツアーで、人気を集めているひとつが、標高4700mから1100m以下まで3600mを一気に自転車で下るというもの。 ラ=パスでは、サイクリストが好意で開いている「サイクリストの家」に泊めてもらっていて、オーナーからこの「死の道…

文化の混交。

ポトシからラパスまでは、2週間以上ぶりの舗装路。 この旅で初めて、一日100キロ以上漕ぐことができた。 そんな中、泊まった小さな村では、ちょうどカーニバルが始まったところだった。 4日間、毎夜毎夜踊り明かすのだという。 土着の儀式の上に、キリスト教…

世界最大の銀山。

17世紀には、世界最大の都市のひとつだった、ポトシ。 銀山は、莫大な富をスペインにもたらした。 そしてポトシの街も、幾多の豪奢な教会で彩られた。 しかしその陰では、たくさんの奴隷が重労働を強いられ、捨て駒とされた。そしてその姿は、独立してからも…

第二の人生。

近頃よく見るのが、日本の中古車。 10年ほど前によく見た車たちが街を縦横無尽に走っているので、どこか懐かしい気持ちになる。 商用車は、会社の名前が入ったままだったり、または車庫証明のステッカーが張ってあるままだったり。それでも右ハンドルを左…

夢を叶えて。

今回の南米行で一番の目的だった、ウユニ塩湖。そして塩の上を走ること。 このために、寒気である冬を選んだ。雨期になる夏は、湖面に薄く水が張り鏡のようになるのだが、自転車では錆びてしまうため走れないのだ。宝石の道から大きな町を挟むことができず、…

宝石の道。

標高2300mのサン=ペドロ=デ=アタカマから、もう一度4000m以上の世界へ。 そして、そのまま1週間は4000mより下には降りなかった。 「宝石の道」。色とりどりの湖が次々に現れるこのルートは、いまや年間5万人が訪れる観光名所となっている。幾多のランドク…

さらなる高地に向けて。

サン=ペドロ=デ=アタカマの町は、とてもツーリスティックな町だ。わずか3400人ほどの人口の町に、旅行会社と観光客がひしめき合う。地元の生活というものを感じることのできない町。 とても、変な気分である。 さて、この町の入り口で、一人のサイクリストに…

国境もダートで越える。

サン=アントニオ=デ=ロス=コブレスの町から、ほぼ真西に進む。 国境の高度は、4079m。 それほどアップダウンがないことを願ったが、4500mの峠がひとつ。そして、連日の向かい風。 この地では、常に太平洋からの西風が吹くのだ。3日目に国境警…

ダートの峠へ。

首都ブエノスアイレスから、バスに揺られて20時間。アルゼンチン北西部の街、サルタについた。 ようやく、自転車の旅の始まりだ。まず目指したのは、人口2000人の小さな村、カチ。そこまでの道も、いきなり渡渉あり、ダートありの険しい道。 標高3300mまで、…

地球の裏側へ。

日本の夏に別れを告げて、地球の裏側へと飛び立つ。 アメリカ・ダラスで乗り継いで24時間以上の旅路。 長い、長い航路。 そしてたどり着いたブエノスアイレスは、たまたまあったかい日だった。それでも外気温は17度。空港から、町の中心まで走る。 町の人…

旅の準備

今回持っていくものは、特に特別なものはありません。 前回の装備そのまま、といった感じです。 今南米は冬なので、−15度くらいまではありえるかなと思っています。 できるだけ寒さに体を慣らし、あとは着込めばテント泊もいけるだろうと思ってます。

旅の計画

8月4日から10月3日まで、南米を走ってきます。 ルートは、 アルゼンチン・ブエノスアイレス ↓(バス移動) アルゼンチン・サルタ ↓(国境・アンデス峠越え) チリ・サン=ペドロ=デ=アタカマ ↓(ウユニ塩湖走行) ボリビア・ウユニ ↓ ボリビア・ポト…

装備の確認。

今回の旅にて荷物に入ってたものを振り返ってみる。まず、大切なものは、フロントバッグへ。 フロントバッグ モンベル ドライツーリングフロントバッグ(タジキスタン入国とほぼ同時にフレームが破断)→オルトリーブ アルティメット L デジタル一眼レフカメ…

150度を飛び越えて。

カサブランカでは、自転車の箱を探すのに難航したものの、なんとか自転車をパッキング。 日本まで無事に自転車を持ち帰ることができた。 西経7度のカサブランカから、東経140度の東京まで。 乗り継ぎを含め、ちょうど24時間の空旅。 シベリアを飛び越…

カサブランカ・グッバイ。

マラケシュから、ポルトガルが大航海時代に拠点にしていた町、アルジャディーダに立ち寄る。 まさかこの200km超を一日で走ることになろうとは思わなかったけど、旅の最後に思い切り走ることができた。 そして、モロッコ最大の都市、カサブランカまで。 …

次第に都会へと。

モロッコ到着から、大都市を避けるようにして山へ、荒野へと走ってきた。 でも、最終目的地へ向けて、都会は避けることができない。 モロッコ第三の都市、マラケシュ。 ムラービト朝、ムワッヒド朝の首都として栄えた歴史のある観光都市は、ヨーロッパからだ…

大西洋。

アトラス山塊に別れを告げ、大西洋岸へ。 ひどい嵐に見舞われながらも、アガディール着。翌日は晴れ渡った。 リゾートホテルが立ち並ぶ、ビーチリゾートだ。 そして、海岸沿いは常に北西からの向かい風。一日90キロ進むのにも、骨が折れる。 今回の旅の最…