アウシュビッツ/ビルケナウ。

ショートトリップ第三弾。ポーランドアウシュビッツポーランド語;オシュウェチム)へは、一人へ夜行へ乗り込んだ。といっても駅まで車で送ってもらったり、切符を買うのを手伝ってもらったりといろいろしてもらった。

距離的には、東京から名古屋くらいだろうか。6時間ちょいの旅。
 

小雪のちらつくなか、アウシュビッツ博物館到着。陰気な空気がいまだぬぐえないアウシュビッツ
その入り口には、「労働によって自由になる」という標語。
Bがひっくりかえっているのは、当時の労働者のせめてもの反抗だったという。


博物館の内部は、収容者の遺品、衛生状態、拷問牢など。
それぞれの展示の前で、手を合わせる。
当時のナチス・ドイツの同盟国だった国の一市民として、できるかぎりのご冥福を祈ろうと思った。
そして鎮魂の思いなしには直視できない展示の数々。

もともとはユダヤ人のためでなく、自国民、ポーランド人などの政治犯の収容のために建設されたアウシュビッツ。だが、次第にユダヤ人やロマなどの収容を行うようになるとスペースが足りなくなり、2キロ離れたビルケナウに第二アウシュビッツを建設した。その規模は元アウシュビッツの5倍以上。さらなる拡張計画も容易されていたという。

こちらが開かれたときには、到着した収容者はすぐに体力検査を受け、働けないと判断された男性、そして女性と子供は即時にガス室送りとなったという。
そしてビルケナウは水源に恵まれていなかったため水の供給がままならず、衛生状態は最悪で、ナチス幹部まで病気におかされていたという。
国際鎮魂碑はこちらにあり、ヨーロッパ各種言語で碑が刻まれている。

そんなことを知ってか知らずか、広大な跡地を鹿の親子が駆け回っていた。