文化の混交。

ポトシからラパスまでは、2週間以上ぶりの舗装路。
この旅で初めて、一日100キロ以上漕ぐことができた。

そんな中、泊まった小さな村では、ちょうどカーニバルが始まったところだった。
4日間、毎夜毎夜踊り明かすのだという。
土着の儀式の上に、キリスト教のカーニバルが覆いかぶさり、見た目は享楽的な踊りとなる。だが、どこか物悲しいのは、やはり圧倒的な力で押しつぶされかけた土着の宗教の魂が嘆いているのだろうか。


そして、たどりついた大都会ラ=パス。
久しぶりの日本食に舌鼓をうった。

ラ=パス・ボリビア(La Paz, Bolivia)
総走行距離2028km

世界最大の銀山。

17世紀には、世界最大の都市のひとつだった、ポトシ
銀山は、莫大な富をスペインにもたらした。
そしてポトシの街も、幾多の豪奢な教会で彩られた。

しかしその陰では、たくさんの奴隷が重労働を強いられ、捨て駒とされた。

そしてその姿は、独立してからも変わることはなく、1952年の国有化まで続いた。
国有化の際に生活レベルの向上を求めて立ち上がった労働者らは、火焙りにされ、生埋めにされたという。
20世紀の南米における、最も血みどろな革命、と形容される所以だ。

しかし住宅などの整備が進んだとはいえ、今でも労働者は1日8時間以上、休むことなく働き続ける。
コカの葉をほお張りながら、薄暗く、ホコリの舞う中での労働。

金曜の夜には、純度97パーセントのアルコールと、市価の10分の1以下のフィルターなしタバコで疲れを癒す。

そんな彼らは、街におりてくることはほとんどないという。

植民地時代から続く、ポトシの光と陰。その構造は、いまでも変わっていなかった。

ポトシボリビア(Potosi, Bolivia)
総走行距離1462km

第二の人生。

近頃よく見るのが、日本の中古車。
10年ほど前によく見た車たちが街を縦横無尽に走っているので、どこか懐かしい気持ちになる。

商用車は、会社の名前が入ったままだったり、または車庫証明のステッカーが張ってあるままだったり。

それでも右ハンドルを左ハンドルに替えなければならないので、ダッシュボードの右側が出っ張ったままの中途半端な改造も見受けられる。
また、マイクロバスは扉を左から右への大改造。

地球の裏側で、もしかしたら小さいころ乗ったことのある車が走っているのかも知れない。

ポトシボリビア(Potosi, Bolivia)
総走行距離1462km

夢を叶えて。

今回の南米行で一番の目的だった、ウユニ塩湖。そして塩の上を走ること。
このために、寒気である冬を選んだ。雨期になる夏は、湖面に薄く水が張り鏡のようになるのだが、自転車では錆びてしまうため走れないのだ。

宝石の道から大きな町を挟むことができず、休憩なしでの12日間連続走行。
とてもタフな日々が続くが、それもウユニのためと思えば不思議とテンションが上がるものだ。

そして二日間、120kmにおよぶ塩湖上の走行。

もはや、多くを語ることはない。ただ、ただ、満足だった。
以下写真集。

そして、ほぼ2週間ぶりの休養。人口12000人の町が、とても大きく、なんでも揃うように思えるのだ。

ウユニ・ボリビア(Uyuni, Bolivia)
総走行距離1249km

宝石の道。

標高2300mのサン=ペドロ=デ=アタカマから、もう一度4000m以上の世界へ。
そして、そのまま1週間は4000mより下には降りなかった。

「宝石の道」。

色とりどりの湖が次々に現れるこのルートは、いまや年間5万人が訪れる観光名所となっている。

幾多のランドクルーザーが砂煙をあげ、たまにボルボスカニアのトラックが通る。
日本車かスウェーデン車しかない、といってダニエルと笑う。


最初の湖、ラグーナ=ブランカ(白い湖)とラグーナ=ヴェルデ(緑の湖)。
そこに単独峰のリカンプールが映える。

そしてラグーナ=サラダ(塩辛い湖)。その湖畔には、ちょうどいい温度の温泉が整備されている。
4WDはほぼ同じスケジュールで回るため、彼らが去った後は一気に静かになる。
そして朝にもついつい足湯に入った。

ラグーナ=コロラダ(赤い湖)。多量のプランクトンによって赤くなった湖に,フラミンゴが群れをなす。彼らはラグーナ=エディオンダ(鼻をつく臭いの湖)でもたくさん見受けられた。

そして奇岩も待ち受ける。風で木のように削られた、岩。


だが、やはりなにより印象的だったのは、道の悪さである。

コルゲーション、深砂が続き、なかなか思うようにはいかない。少しでも土地が開けると、4WDが好きに轍を走らせてしまうので(ランドクルーザーが強靱すぎるのが悪い、とダニエルは笑った)、正しい道などないようなもの。GPSが役に立った。
だが、それでもたまに重機が入り、道を整備してくれている部分もある。

最大で7Lの水を運びつつ、マイナス19度の夜を忍び、無事に幹線道路まで降りてきた時、むしろ幹線道路のほうが4WDがいない分静かであった。



ウユニ・ボリビア(Uyuni, Bolivia)
総走行距離1249km

さらなる高地に向けて。

サン=ペドロ=デ=アタカマの町は、とてもツーリスティックな町だ。わずか3400人ほどの人口の町に、旅行会社と観光客がひしめき合う。地元の生活というものを感じることのできない町。
とても、変な気分である。

さて、この町の入り口で、一人のサイクリストに会った。
スウェーデン人の、ダニエル。
なんと彼は、僕とまったく同じ自転車に乗っているのだ。

そして休養がてら、近くの間欠泉へのツアーに参加した。
朝日の中で、もうもうと吹き出る蒸気。
ただ、標高4200mでは朝の気温は−15℃にもなる。
凍えながら、蒸気を眺め、そして温泉にも入った。

帰り道は、野生動物を観察しながら。

昼過ぎに戻ってきた町は、小さいながらもなんでも揃うように感じた。

さて、これからダニエルと二人で、南米で最も美しく、最も過酷と言われる「宝石の道」に挑むことになる。

サン=ペドロ=デ=アタカマ・チリ(San Pedro de Atacama, Chile)
総走行距離685km

国境もダートで越える。

サン=アントニオ=デ=ロス=コブレスの町から、ほぼ真西に進む。
国境の高度は、4079m。
 
それほどアップダウンがないことを願ったが、4500mの峠がひとつ。そして、連日の向かい風。
   
この地では、常に太平洋からの西風が吹くのだ。

3日目に国境警備所に到着したのは、もう夜も10時を回っていた。
凍えそうな僕に、警備隊の人たちは何も言わず、部屋をあてがい、夕食を差し出してくれた。
険しい土地だからこそ、人のやさしさが沁み入る。
   

そして国境を越えてからが、本格的な登り。4500mの峠が2回立て続けである。
   
そしてその後も塩湖が続く高地を走行し、ようやくチリの最初の村・ソカイレが見えるのは、国境から120kmの地点。ここでようやく、400kmにわたったダートが一旦終わる。
   
そしてさらにその村からさらに、世界第二位の塩湖、アタカマ塩湖を左に眺めつつ走ること100kmで、サン=ペドロ=デ=アタカマ、チリ北部の観光の拠点である。
   


    

サン=ペドロ=デ=アタカマ・チリ(San Pedro de Atacama, Chile)
総走行距離685km