世界最大の銀山。
17世紀には、世界最大の都市のひとつだった、ポトシ。
銀山は、莫大な富をスペインにもたらした。
そしてポトシの街も、幾多の豪奢な教会で彩られた。
しかしその陰では、たくさんの奴隷が重労働を強いられ、捨て駒とされた。
そしてその姿は、独立してからも変わることはなく、1952年の国有化まで続いた。
国有化の際に生活レベルの向上を求めて立ち上がった労働者らは、火焙りにされ、生埋めにされたという。
20世紀の南米における、最も血みどろな革命、と形容される所以だ。
しかし住宅などの整備が進んだとはいえ、今でも労働者は1日8時間以上、休むことなく働き続ける。
コカの葉をほお張りながら、薄暗く、ホコリの舞う中での労働。
金曜の夜には、純度97パーセントのアルコールと、市価の10分の1以下のフィルターなしタバコで疲れを癒す。
そんな彼らは、街におりてくることはほとんどないという。
植民地時代から続く、ポトシの光と陰。その構造は、いまでも変わっていなかった。
夢を叶えて。
今回の南米行で一番の目的だった、ウユニ塩湖。そして塩の上を走ること。
このために、寒気である冬を選んだ。雨期になる夏は、湖面に薄く水が張り鏡のようになるのだが、自転車では錆びてしまうため走れないのだ。
宝石の道から大きな町を挟むことができず、休憩なしでの12日間連続走行。
とてもタフな日々が続くが、それもウユニのためと思えば不思議とテンションが上がるものだ。
そして二日間、120kmにおよぶ塩湖上の走行。
もはや、多くを語ることはない。ただ、ただ、満足だった。
以下写真集。
そして、ほぼ2週間ぶりの休養。人口12000人の町が、とても大きく、なんでも揃うように思えるのだ。
ウユニ・ボリビア(Uyuni, Bolivia)
総走行距離1249km
宝石の道。
標高2300mのサン=ペドロ=デ=アタカマから、もう一度4000m以上の世界へ。
そして、そのまま1週間は4000mより下には降りなかった。
「宝石の道」。
色とりどりの湖が次々に現れるこのルートは、いまや年間5万人が訪れる観光名所となっている。
幾多のランドクルーザーが砂煙をあげ、たまにボルボかスカニアのトラックが通る。
日本車かスウェーデン車しかない、といってダニエルと笑う。
最初の湖、ラグーナ=ブランカ(白い湖)とラグーナ=ヴェルデ(緑の湖)。
そこに単独峰のリカンプールが映える。
そしてラグーナ=サラダ(塩辛い湖)。その湖畔には、ちょうどいい温度の温泉が整備されている。
4WDはほぼ同じスケジュールで回るため、彼らが去った後は一気に静かになる。
そして朝にもついつい足湯に入った。
ラグーナ=コロラダ(赤い湖)。多量のプランクトンによって赤くなった湖に,フラミンゴが群れをなす。彼らはラグーナ=エディオンダ(鼻をつく臭いの湖)でもたくさん見受けられた。
そして奇岩も待ち受ける。風で木のように削られた、岩。
だが、やはりなにより印象的だったのは、道の悪さである。
コルゲーション、深砂が続き、なかなか思うようにはいかない。少しでも土地が開けると、4WDが好きに轍を走らせてしまうので(ランドクルーザーが強靱すぎるのが悪い、とダニエルは笑った)、正しい道などないようなもの。GPSが役に立った。
だが、それでもたまに重機が入り、道を整備してくれている部分もある。
最大で7Lの水を運びつつ、マイナス19度の夜を忍び、無事に幹線道路まで降りてきた時、むしろ幹線道路のほうが4WDがいない分静かであった。
ウユニ・ボリビア(Uyuni, Bolivia)
総走行距離1249km
さらなる高地に向けて。
サン=ペドロ=デ=アタカマの町は、とてもツーリスティックな町だ。わずか3400人ほどの人口の町に、旅行会社と観光客がひしめき合う。地元の生活というものを感じることのできない町。
とても、変な気分である。
さて、この町の入り口で、一人のサイクリストに会った。
スウェーデン人の、ダニエル。
なんと彼は、僕とまったく同じ自転車に乗っているのだ。
そして休養がてら、近くの間欠泉へのツアーに参加した。
朝日の中で、もうもうと吹き出る蒸気。
ただ、標高4200mでは朝の気温は−15℃にもなる。
凍えながら、蒸気を眺め、そして温泉にも入った。
帰り道は、野生動物を観察しながら。
昼過ぎに戻ってきた町は、小さいながらもなんでも揃うように感じた。
さて、これからダニエルと二人で、南米で最も美しく、最も過酷と言われる「宝石の道」に挑むことになる。
サン=ペドロ=デ=アタカマ・チリ(San Pedro de Atacama, Chile)
総走行距離685km
国境もダートで越える。
サン=アントニオ=デ=ロス=コブレスの町から、ほぼ真西に進む。
国境の高度は、4079m。
それほどアップダウンがないことを願ったが、4500mの峠がひとつ。そして、連日の向かい風。
この地では、常に太平洋からの西風が吹くのだ。
3日目に国境警備所に到着したのは、もう夜も10時を回っていた。
凍えそうな僕に、警備隊の人たちは何も言わず、部屋をあてがい、夕食を差し出してくれた。
険しい土地だからこそ、人のやさしさが沁み入る。
そして国境を越えてからが、本格的な登り。4500mの峠が2回立て続けである。
そしてその後も塩湖が続く高地を走行し、ようやくチリの最初の村・ソカイレが見えるのは、国境から120kmの地点。ここでようやく、400kmにわたったダートが一旦終わる。
そしてさらにその村からさらに、世界第二位の塩湖、アタカマ塩湖を左に眺めつつ走ること100kmで、サン=ペドロ=デ=アタカマ、チリ北部の観光の拠点である。
サン=ペドロ=デ=アタカマ・チリ(San Pedro de Atacama, Chile)
総走行距離685km