学生最後の旅へ向けて。
いよいよ学生生活も、あと4か月。
最後の長期休みを活かして、どこ行こうか。
熱帯に行ったことがなかったので、今回は熱帯にしよう、というコンセプトまではなんとなく固まっていた。
実はパプアニューギニアが意外に航空券が安い。
決心がつけば、おそらくパプアに行くことになる。
そこで、参考書。
Lonely Planet Papua New Guinea & Solomon Islands
- 作者: Rowan McKinnon,Jean-Bernard Carillet,Dean Starnes
- 出版社/メーカー: Lonely Planet
- 発売日: 2008/05/01
- メディア: ペーパーバック
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
旅の終わり。
結局大車輪で周ることになった南アメリカ。
最後の日は、自転車の箱を探したり、最後にするべきことをしたあとで、少し時間があったのでクスコ近郊の遺跡をツアーで見てきた。
帰国当日、リマ行きの飛行機が出るのは午後。
正午を過ぎたあたりから雲が空を覆い始め、雨がパラつきだす。
早めに空港に行き、チェックインすると、「もしかしたらこのフライトはキャンセルされるかもしれないからもう一本早いので行くといいわよ」とカウンターのお姉さんに言われ、言われるがままに早めのフライトでリマまで飛んだ。
最後の最後まで、助けられながら旅をしていると感じる。
リマで8時間、ロスで4時間の待ち時間を交え、丸一日半かけてクスコから帰ってきた。
東京・日本(Tokyo,Japan)
総走行距離2838km
頂を目指して。
さて、クスコまで来たからには、行かないわけにはいかぬ。
空中都市、マチュピチュ。
非常に切り立った山のうえにあるため、下からは何も確認することができない。
鉄道でしかアクセスすることのできない村が、マチュピチュの麓にある。バスと鉄道を乗り継いで行く道中にも、インカの遺跡。
そして、高低差をつけることによって温度差をつけ、品種改良、農業研究に使ったといわれる遺跡。そしてインカ時代から続き、今でも塩を生産している塩田。これは涌き出る温泉が高濃度の塩分を含んでいるためだ。
マチュピチュを見るために多くの観光客が夜明け前から山頂行きのバスに並ぶ。
そして僕たちも早起きをして、マチュピチュの更に奥、遺跡の全景を望めるというワイナピチュの山を目指した。
しかし、生憎の曇り空。そして、時折の雨。残念ながら、頂上はただ分厚い雲の中だった。
遺跡に降りてくるころには少しは雲は上空に遠のき、遺跡の全景を眺めることができた。
太陽を信仰したインカの人々が、太陽に近づくためにと造った神殿跡。そして、巨大な日時計。
さまざまな建築物が、さまざまな憶測を呼ぶ。ガイドブックに書いてあること以外にも、いろいろと想像をめぐらせるのが楽しい。
お天道様には恵まれなかったが、夏休みのよい締めくくりとなった。
クスコ・ペルー(Cuzco,Peru)
総走行距離2838km
肥沃な谷へ。
プーノからは、NZ人トムと一緒にクスコまで。
ティティカカ湖のあるアルティプラノからひとつ峠を越えると、クスコまで渓谷地帯が続いて行く。
その峠を越えたすぐあとに温泉があり、夜、誰もいなくなった温泉で星空を眺めた。そのまま、温泉の施設内でキャンプ。
クスコへと続く谷は、アルティプラノと比べるとはるかに緑に満ち溢れ、この地に高度な文明が発達したことを納得させてくれた。
そして、インカ帝国、もしくはインカ以前の遺跡もちらほら。
スペイン人をあっと言わせた石組み技術が美しい。
そして、クスコの町へと到着。ここでこの夏の旅路は途切れることとなる。
スペイン流に改造され、目を惹くのはキリスト教建築ばかり。でも、そんな建築物を支えているのは、インカの石組みだったりする。
ヨーロッパの教会建築のように、手放しでは感嘆できない建築群。
そんな街は、今日も数多の観光客で溢れている。
クスコ・ペルー
総走行距離2838km(Cuzco, Peru)
奇妙な島。
チチカカ湖の6割は、ペルー領。
そしてその湖畔の町、プーノ近くの湖は、比較的浅いエリアとなっていて、水深5mほどしかない。
そのため、湖岸から数キロ離れた場所にも、葦の一種、トトラが自生する。
その葦を積み重ね、浮島を造って暮らしている人たちがいる。
インカの攻勢、そしてスペインの残虐から逃げたといわれる人々の末裔だ。
港から船で30分ほど、葦原を抜けていくとその島々はある。ウロス島、もしくは単に浮島と呼ばれる島々。
ひとつの島に6から7つの家族が住み、40ほどの島が集まっている。
そして風が吹いても流されないように、錨を下ろすように杭を打ち、島を固定することはかかせないという。
家も、船も、かつてはすべて葦で造っていた。今ではプラスチックやトタンを使い、より機能的になっているが、それでもいまだに葦は欠かす事のできないものだ。
だが、我々がツアーで訪れたのは、観光によって生計を立てる家族の住む島だけ。住民の大半は、観光地化という陸からの侵略を快く思っていないという。なぜならそれによる利益は島には回らず、陸の業者が儲けることにしかならないからだ。
数百年にわたって孤立を保ってきた島が、現代になってその孤立を脅かされている。
そんな島の将来を思いつつ、夕日が沈むのを浮島の上から眺めていた。
プーノ・ペルー(Puno, Peru)
総走行距離2428km
聖なる湖。
ラ=パス出発時には、この旅で初めての雨が降った。そして、それは盆地を登りきったところで雹に変わった。
小さな食堂で休憩しつつ、止むのを待ってからの出発。
結局しばらくして雹は治まり、アルティプラノは再び青空に包まれた。
そして、チチカカ湖畔の走行。
道中、細い海峡があるのだが、そこは船で渡る。
わずか500mばかり。以前橋を架ける計画が持ち上がり、アメリカが援助をしたのだが、それによって職を失うことになる渡船業者を始め地元住民が反対し、かなわなかった。
さて、ボリビア側のチチカカ湖畔一の観光地、コパカバーナにつくとさっそく、湖に浮かぶ島、太陽の島へと向かった。
インカ帝国の始祖が降り立ったと言われる全長4キロのこの島には、一切の車がない。急峻な地形は一度開墾しつくされたが、今は放棄された畑が多いように見えた。
階段ばかりの島では、ラクダが活躍する。だが、重い水を背負っての階段、しかも3800mの高地での荷役は、彼らにも重いと見え、鞭打たれる場面を幾度か見た。
階段を登りきったところからは、四方に湖が望める。
そして、夕日、朝日がとても美しかった。
ボリビアの最後の思い出が、とても澄んだものとなった。
コパカバーナ・ボリビア(Copacabana, Bolivia)
総走行距離2280km
世界一危険な道路。
ラ=パスからのツアーで、人気を集めているひとつが、標高4700mから1100m以下まで3600mを一気に自転車で下るというもの。
ラ=パスでは、サイクリストが好意で開いている「サイクリストの家」に泊めてもらっていて、オーナーからこの「死の道路」についての情報を教えてもらうことができたので、さっそく行ってきた。
4700mの高地から、ほぼ熱帯の1100mまで、めまぐるしく植生が変わる。
視界を確保するために、通常とは反対の左側通行が義務付けられているこの「死の道」。
だが新たに舗装路が整備されたため、以前のような交通量はなくなり、もう転落事故も起きないだろう。
1100mまで降りると、さすがに蒸し暑く、そして少し運動しても息切れすることがない。いくらか若返ったかのようにも感じた。
ラ=パス・ボリビア(La Paz, Bolivia)
総走行距離2123km